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所謂「児童ポルノ規制法」に関するお話です。一度、目を通してみて下さい。

参考にすべきサイト
■ ジポネット
http://jipo.kir.jp/
反対の意を表明している団体とその論旨など
■ PEN声明(日本ペンクラブ)
http://www.japanpen.or.jp/seimei/981126.html
■ 日弁連(日本弁護士会連合会)意見書
http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/03/2003_09.html

「反面教師」から学ぶ機会

 「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」。この法律の名前から察する限りは、その通りの法律であると誰もが思うことだろう。しかし現在、その内容が題目から大きく外れ、情報統制・思想統制のための法律と化する危険性が各所で騒がれ、波紋を起こしている。
 児童買春、児童ポルノと関係のない、性的表現がなされたあらゆる出版物(架空のものを描いた漫画、アニメーション、ゲーム等も含まれる)の製造、販売、そして既存の出版物の所持すらが禁止されるかもしれないのである。
 これが表現手段に対する規制であり、同時に思想の自由、表現の自由を奪う、憲法に違反した法案であることは、誰の目にも明らかだろう。

 ここで、「それがないと困る」とか「そんなものなくても生きていける」などという次元の話をするつもりはない。これも文化の一つであるからして、個人的には「ないと潤いがなくなってしまう」とは思っているのだが。
 しかし、筆者がここで取り上げる問題はこのような点ではない。数ある問題の内の一点のみを指して言うことなのだが、所謂「反面教師」となる存在が日本から消されてしまうことにある。

 書物、出版物を通じて得られるものには、一過性の過ちを通じて学ぶ教訓や、不快感を生じるほどの犯罪描写を通じて悪を憎む心……と言ったものもある。もちろん、これは一例に過ぎない。考えればいくらでも挙げられるだろう。
 一過性の過ち(例えば学校でのいじめ、性的嫌がらせなど)や、不快感を生じる凶悪犯罪(強姦など)は、現実社会においてはあってはならないものである。しかし、そういったものの存在を何らかの手段で知らないことには、それを通じて知識を得たり、道徳心を育む事はできない。となれば、如何にしてその存在を明らかにし、それを知るべきか? これには過去の記憶といったものもあるが、手っ取り早いものはもちろん、架空のもの――漫画や小説などの出版物や、TVドラマなどの映像である。架空のものであれば、現実に行われた行為と同等の痛みを生じることもない。しかも、作り手の努力によって伝えたいもの、伝えるべきものをより伝わりやすい形に変えることもできる。
 架空のものであれば、このようなごく限られた、僅か一点に着目した「教える」という行為ですら、そのメリットを存分に享受することができる。もちろん、「表現の自由」が失われれば、今挙げたメリットを享受することは非常に困難になるはずだ。こういった現実的な例があると「表現の自由」というものが守られるべき権利の一つである、ということが至極簡単に、誰にでも理解ができるだろう。

 ……しかし。

 今、この存在が、物事の本質を理解できていない(としか考えられない)一部の政治家達の一存によって、闇の中に葬り去られてしまうかもしれない。
 そして、これがどういう事態を招くのか? 一部の政治家達はまるっきり理解ができていないのである。実に嘆かわしいことである。
 人の手に渡る可能性のあるこれらの出版物がなくなると、先の文章で述べた知識、道徳心について教える存在の絶対数が減少することになる。そうなれば、知識を得、道徳心を育む機会も確実に失われていく。相対数ではなく絶対数が減少するのだから、これはかなり深刻な事態であると受け止めるべきだ。
 そして、一番の問題は、己の力で既存のメディアを利用し、正しい情報を得ることができなくなることにある。
 正しい情報を得ることができなくなれば、正しい情報に従って事態を判断するための判断力が欠如することになる(そもそも情報がないのだから、正確な判断を下すことができなくても仕方のないことである)。判断力が欠如すれば、これが道徳心の欠如する原因ともなり、道徳心が欠如すれば、これに伴って犯罪行為に対する思考力、抵抗力も失われる。これはごく一部のケースを想定したものではあるが、これは容易に否定できるものでもないだろう。
 今回取り上げた法律では性的なものに限られるが、これに関する知識、判断力、そして道徳心が欠如すれば、これに関わる犯罪――性犯罪が増加する可能性も決して否定できないのである。ただでさえ性的欲求を昇華する機会を規制され、失っているのだから、性的欲求に対する抑圧が衝動的な性犯罪を発生させる原因となり得ることも、想像に難くないだろう。
 性犯罪を抑制するための要素として大切なものは、性犯罪に対する知識、性的衝動を抑制する理性、そして高いモラルである。決して、法律が持つ抑止力だけで抑え切れるものではない。法律による抑止力以上に、個人の資質が大きく関係してくるのである。既存のメディアがこれを支え、育てる一面を少なからず持っている以上、既存のメディアが失われることが犯罪を抑止する目的でもマイナス要素となることは必至である。

 殊に、性的な情報に関してはそれを得る機会が特に少ない。両親など、家族の話で情報を得る前に出版物などのメディア(「情報のソースが出版物等である」ということが重要であるため、それを見た友人等の話も同様と見なす)を通じて情報を得た経験を持つ者も、決して少なくはあるまい。現に筆者はそうであった。もちろん、家族からそのような情報を得た覚えは全くない。
 そして、それらの出版物などのメディアを通じて知識を得、様々な手順を経た上で結果的に道徳心が育まれている……ということは、筆者に性犯罪の前科がない事によって、証明もできている。少なくとも、出版物の存在と性犯罪の因果性を証明することは不可能だろう。
 また、これが非常に限定された特殊なケースである、ということもあるまい。この文章をを見ている大半の方でもこれは容易に証明できるのではないか、と筆者は考えている。家族から口頭の説明で詳細な情報を得る前に出版物で具体的な情報を得たか否か、そしてそれを原因として性犯罪を起こした前科があるか否か。ここで問われることは、この二点しかない。
 日本ではそれが至極普通なことであり、また、健全な状態であるとも言えるだろう。ありとあらゆるものが人に知識を与え、そして、成長させるのだ。堕ちるか否かはその者次第。犯罪に手を染めるか否かもその者次第だ。
 何はともあれ、確実に言えることは「知る機会がなくなれば、知識を得るための手段の一つが確実に失われる」ということである。このままでは、独善的な政治家のエゴによって「知る機会」が奪われてしまうのである。

 文化が抑圧されれば軋轢を生み、全く望まぬ結果すら生み出しかねない。抑圧の歴史がどのような結果を招いてきたか――それはこれまでのありとあらゆる歴史が証明している。敢えて例は挙げないが、近年でもほぼ全ての国民がこれについて知ることができたではないか。日本という国全体がこれを目の当たりにしていたというのに、そこに住まう者達はそこから何の教訓も得ることができなかったのだろうか?

 そして、一番気になることがある。
 犯罪行為は、その存在はもとより、それを発生させる存在をこの世から完全に消し去ることができれば、発生することがなくなり、そして取り締まる必要がなくなり、最終的にはそれに付いて考える必要もなくなる。おそらく、これがあらゆるものを独善的に取り締まろうと考える、一部の政治家達の言い分だろう。
 しかし、言うまでもないことだが……
 この世から犯罪行為が消えることは、現実的にあり得ないと言ってもいい。そんな状態にありながら、これに関連する知識を得る手段が法的に封じ込められていれば、犯罪行為が減少する可能性を維持しつつも、一方では犯罪行為に関する知識を得る機会が著しく減少し続ける。そして、犯罪行為に対する知識が欠如すれば、それに伴って犯罪行為に対する価値観、モラルも欠如することが充分に考えられるのだ。
 そうなれば、犯罪行為が発生する可能性が消えない状態の中で、犯罪行為に対する抑止力だけが減少し続ける。そして、結果的には犯罪行為がとめどなく発生し、それを抑制することすらできなくなる、最悪の状態を生み出す可能性を持った土壌のみが残されてしまうのである。

 犯罪行為はその存在を忘れさせようとしたところで、決して忘れ去られることなどない。犯罪行為が現実に存在することを認めた上で、その発生を抑止することができなければ、事態の解決は望めないのである。

まず、反対するべき

 まず、今回の話が「直接的な利益が奪われる」という局地的な効果について述べているだけでなく、この法案が「国民から『表現の自由』を奪い、基本的人権を有する全ての国民に対して損害を与える」ものであり、この法案の内容が「違憲である」という確固たる認識を持たねばならない。
 そして、この法案が児童ポルノに関係する、本当に防がねばならない犯罪の決定的な抑止力には決してなり得ないことを理解して頂きたい。この法案が成立しても児童ポルノという単語がなくなることはなく、これに関する犯罪行為そのものを直接的に抑止できない限り、その存在が消え去ることもないのである。

 これについては、ここで取り上げた法律「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」の、自民党による改正案に対して異を唱え、この法案の成立を阻止するための運動を展開している「ジポネット」で詳しく知ることができ、これを見た貴方が当該法案に対して異を唱えたいと思った時に一国民として行動を起こすことができるようになっている。
 筆者はこの法案に対して異を唱え、反対することは、現代を生きる国民の義務であると考えている。基本的人権が特定の政治家のエゴによって害されることは、如何なることがあっても絶対に避けねばならないからである。人によっては「表現の自由を奪われること」が「命を奪われること」にも相当することを理解しておくべきだ。
 この法案に賛同することは、我々と同じ一国民に過ぎない存在が、一国民の基本的人権を奪う行為に賛同することに他ならない。決して、許されてはならない行為なのである。

[Last Update 2004/04/02]


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